光源氏が生涯をかけた最愛の人といえば、間違いなく藤壺だと思う。藤壺は、光源氏にとって父帝の妻であり、絶対に結ばれない運命だった。紫の上は、そんな藤壺に瓜二つであり、光源氏が藤壺が手に入らぬがために藤壺の身代わりとして自身のそばにおいたにすぎない。
ただ1度、光源氏は藤壺と情交を交わし、藤壺は光源氏の子のちの冷泉帝を産むことになる。光源氏と藤壺は世間に許された関係ではないので、お互いに自分の感情を言葉にして述べることもできないのはもちろん身分柄、形式的なやりとりや顔を合わすことすらできない。それでも、一言も言葉をかわさずとも二人は互いに互いを思いあっている。
紫の上は、藤壺に瓜二つで会ったことから光源氏に引き取られ、いつとはなしに妻となる。事実上正妻の地位につき、光源氏からもこのうえなく大切にされ、愛の言葉も溢れるほどにもらう。でも、光源氏が藤壺の幻を追うのはやまらないし、紫の上を見る視線の先には藤壺がいる。
一見いつもそばにいて、優しい言葉も愛の言葉ももらう紫の上と、愛の言葉はおろか日常的な言葉すら交わすことすらできない藤壺と実に対照的だ。
誰かのことを真に思い、思われそれが実をついたものだったときそれは得難い幸せだろう。藤壺は愛する人と一言も言葉を交わせなくても、顔をみることすらできなくても幸せであったと思う。ただ1度の情交がなかったとしてもそれは変わらないだろう。逆に誰よりもそばにいても、どんなに甘いことばささやいてくれても真実自分を見てくれない人といるむなしさはいかばかりか。
人間の思いというものは果てしなく深く、目で見ることもできず、すべてを言葉で表現することはできない。相手が本当にどういう思いでいるか、完璧にわかるための方法はない。自分自身の思いすらはかりかねることもある。それでも、相手の思いと自分の思いが同じである奇跡があるとするならば、互いが互いを思いやり、同じ思いをこのうえなく大切にして生きていけたらと思う。そして、それは得も言われぬ幸せなのではないかと思う。
10代のころには考えなかったことである。
弁護士小野智映子