弁護士になりたい、そう思ったのはいつからだったのだろうか。私の場合、弁護士になってみてからの方が、これこそが自分が求めてきた一生をかけるに足りる仕事だと実感できるようになった。なってみるまでは、弁護士がどういうものなのか、よくわかっていなかった。
それなのに、司法試験を受けたということは、どこかで、なりたいと思った時点があるはずで、それがさかのぼるとどこにあるのかなと考えてみた。
高校生のときには、弁護士になることは全く考えていなかった。東大には、高校1年生ぐらいのときから行きたいという気持ちはあったけれど、その先についてはまだ全く白紙だったように思う。
高校3年生のときに、進路指導の件で担任に職員室に呼び出された。この時、「文1をうけるには成績がたりない。文3にしないか」と言われた。確かに、私はすでにこの当時源氏物語の魅力にとりつかれており、文3にしても一向に構わない状況だったし、むしろ大学受験の段階でこのよう嗜好があるのなら文3を受けるべきであろう。それに、そもそも成績がたりないのだ。それなのに、私は無意味に文一に固執し、黙っていた。すると、そのとき担任に電話がかかってきて、担任が電話に出て話し始めた。私は、「いまだ」と思い、「失礼します」と言って逃げ出した。なんだか爽快だった。そのまま私は文1を受け、現役では不合格になり、1浪の末、東京大学文科1類に合格する。
東大に入学してからも、私は、ある意味執拗に司法試験の道を避け続ける。当時は、キャリア官僚を目指す国一よりも法曹を目指す司法試験の人気が上がり始めたころで、同級生の多くは遅くても2年生の秋くらいには、予備校通いを始めていた。私は、官僚にも司法試験にもあまり興味がもてず、茶道や着付け、お花を習い勝手気ままな暮らしをしていた。3年になって法学部第3類(政治コース)に進んだ。あくまでも法律の道には行きたくなかった。3年生の終わりごろ、就職活動を始めたが、これがまったくうまくいかなかった。時代も悪かったとは思うが、やはり、どんな仕事をしたいかという根本がないままの就職活動などうまくいくはずもない。当時は東京で就職し、東京で生活することしか頭になかった。就職活動がうまくいかなければ、当然、自分のことや自分の適性、将来について真面目に向き合うようになる。そのなかで出した答えが司法試験だった。人より遅い4年生の秋、私は初めてまともに法律の勉強をはじめるようになる。
今現実に弁護士になってみての充実感を味わうと、わけもわからず、執拗に司法試験の道を避け続けていたにもかかわらず、知らず知らずのうちに道はここへつながっていたのだと思わざるを得ない。高校3年生の担任から逃げ出した時の爽快感は、今の道へ行こうとすることの正しさを教えてくれていたのだと思う。自分のはっきりした意思ではなかなかむきあえなかった弁護士への道へいつのまにか導かれていたのである。