先日来開いてしまった自分の日記から。
どうやら私は中学3年の冬、「若いのに枯れ果ててい」たらしい。当時の日記によると、このころどんどん成績が落ち、しかも勉強のやる気が起きないという状態だったようだ。
私は中高一貫校に通っていたので、高校受験はなかったから、今から思えば成績が悪くても別にかまわないのではないかとも思えるし、逆に言えば悩むのが成績のことだけならいかにも学生らしいし相当に幸せ者であるけれども、当時は相当深刻に悩んでいたらしい。
中学3年といえば、ちょうど授業が高校の内容に入ったころだと思う。
私の場合、母が中学までは勉強ができたけれど、高校に行ってさっぱりわからなくなったというのを聞いていたので自分も同じように「この先まったく勉強がわからなくなってしまうのではないか」という恐怖と不安におしつぶされそうになっていた。実際にその後私の成績は上がることはなく、それなりの成果が目に見える形になって現れるのは浪人してからになる。
曰く「1日何も考えずにぼーっとしたい」「休むと成績がまた落ちる気がして休めない」などと悲痛な記述がある。自分がここまで追い詰められていたこと(追い詰められた気分になっていること)すらすっかり忘れている。なぜ、成績が上がらなかったのか…..これはたぶん自分に問題がある。自分のスタイルというものがまったく確立できていなかった。それは勉強方法についてもそうであるし、自分の生き方についても。
私の場合、勉強方法としては、基本的なことを一つ一つ、何度も何度も読んで、解いて全部を頭にいれないと試験というアウトプットで成果を上げられない。これは非常に効率が悪く時間も異常にかかるのだが、限られた知識で思考を構成するというのは私には無理なのである。このことにやっと気が付いたのが浪人時代。でもこの自分の特性は自分のものでありながら、とてもしんどくて成果を上げるのに時間がかかるので、自分でも横道にそれてしまう。それで時間がかかってしまったのが司法試験である。
中学3年のときは、単にもっとできるはずという自分のプライドと目の前のおもしろくなさが邪魔をして、「不安だ」「不安だ」と自分の首を絞めていたのだと思う。その不安だといっている半分でも自分のスタイルは時間がかかるけどこうなんだ!と信じて頑張っていれば、毎日が楽しかったと思うしその後の長いトンネルもなかったのではないかと思う。今でも私は不安だと言って自分で自分をあおることがあるけれど、自分にとってなにが正解かはわかるようになって多少の軌道修正はできるようになった。それでも今生きているこのときを「苦しい」と思ったらそれはすごく損なことだよ、と15歳の私の姿はいまの私に語りかけてくる。
曰く「この日記を笑いながら読める日はくるのかなあ」と15歳の私。
あにはからんや、20年以上たって私は大笑いでそれを読んでいる。
弁護士 小野智映子
※このブログは、弁護士小野智映子が法律や弁護士業務のこと、自分の過去、そして未来について思いつくままに綴っているものです。