津山出張の楽しみ
弁護士の小野智映子です。
このところ月2~3回のペースで津山や真庭など県北に出かけています。
往復車でちょっとしんどいときもありますが、
途中の道の駅や津山のJAの直売所でお花を買うのが楽しみになっています。
どれも安くて活きがいい!!
連日の猛暑もなんのその。
本当に花は癒されます。
当初は、花のみでしたが、津山でミニトマトの種をいただき新たに挑戦。
弁護士の小野智映子です。
このところ月2~3回のペースで津山や真庭など県北に出かけています。
往復車でちょっとしんどいときもありますが、
途中の道の駅や津山のJAの直売所でお花を買うのが楽しみになっています。
どれも安くて活きがいい!!
連日の猛暑もなんのその。
本当に花は癒されます。
当初は、花のみでしたが、津山でミニトマトの種をいただき新たに挑戦。
お仕事は迅速にが基本ですが、私の生き方はゆっくり、ゆっくりをモットーにしています。
どんなこともすぐに早く結果を出すことを求めがちですが
一つ一つ丁寧に努力して自分のものにしてまた次に進むということを大切にしています。
とかく目の前のことに目を奪われがちですが、時間をかけなければなしえないこと、時間が経過しなければ解決しないことが多くあります。
今日は楽しくなくて、悲しくても、未来の光に希望が持てる、さながら波頭に太陽の光が反射してキラキラときらめくような明日があると思っています。
たぶん私の場合はゆっくり時間をかけた結論を一番納得して受け入れることができるのではないかと思います。
もし間違ったなと思ったら軌道修正するのですが、間違って進んだ軌跡も無駄ではないと信じています。
ごく最近あることを一生の賭けとして心において生きていこうと決めました。
それが正解かどうか、実現するかどうかわからないけれども、きっと実現して人として生まれてきた喜びを感じる瞬間を迎えられるのではないか、との確信は持っています。
私の大事な大事な愛猫。親友でもあります。
イネさん。御年12歳になります。
12歳とは思えぬ衰えない美貌はさながら猫又のような妖しさです。
イネさんとの出会いはまだ司法試験の受験生だったころ。
ある日、家の前に1匹だけおちていました。
母猫とはぐれて、まだ水の飲み方も知らないやせっぽちの子猫でした。
勉強に付き合ってくれたり、つらいとき、苦しいときそばいてくれました。
勉強にはつきあってくれましたが、修習中のレポートにはつきあってくれま
せんでした。
イネさんは私が和光に行った2か月ほどのあいだに両親に鞍替えしようと
していましたが、その決心をした矢先、私が無事岡山に戻り、
また元さやに戻り、私との蜜月関係が続いています。
イネさんとは毎日お話しもします。
イネさんの趣味は爪とぎです。長い自慢の爪をいつも丁寧に磨いでおります。
イネさんは年齢は重ねましたが、新しいものも積極的に取り入れることができます。
そんなイネさんは、最近新参者のたまに悩まされています。
若くて好奇心旺盛なたまはイネさんを憧れのまなざしでみつめ、ついていきますが、
大人のイネさんはそれがうっとおしいようです。
でも、たまが来て、イネさんはより若々しくなりました。
イネさん、この先も長生きして、是非猫又になってね(笑、、怒るだろうなあ、、)
ご案内しておりました7月の無料相談につきましては、枠がすべて埋まりましたので
終了致しました。
8月につきましては、準備でき次第ご案内致します。
弁護士の小野智映子です。
7月になりました。梅雨明けはまだですが、日に日に暑くなってきました。
事務所ベランダガーデンも夏らしい花を植えました。
お恥ずかしい話ですが、「ムクゲ」の英名は「ハイビスカス」で両者同じ種類に属する花であるそうです。もちろん品種は違うのですが。
でも花の趣も上のムクゲはどことなく和風で、下のハイビスカスはいかにも南国情緒漂う雰囲気に感じられます。
このハイビスカスたち、こんなにあでやかで大輪の花をさかせますが、花の命は一日です。
毎日、しぼんだ花を取り、手入れをすると、次々に花を咲かせます。
季節を感じ、花と語らい、水や肥料をあたえ、花殻や枯れた葉を取り除く時間は、ゆったりと幸せを感じるときです。植物の種類によって、手入れの方法は千差万別で、この個々に応じて「手入れ」をするということが大好きなのです。
物事を長く丁寧にその個性に応じて手をかけていく、それが自分の生き方を貫くものであり、花を育てることはその確認作業にもなっているのです。
弁護士の小野智映子です。
7月の無料相談につきましては、業務繁多のため相談日を設けず、相談申し込み先着順
に5名様までとさせていただきました。
相談日が入りにくいかもしれませんが、お電話頂けたらと思います。
よろしくお願い致します。
また、法テラスを利用しての無料相談も対応可能です。ご希望の方は、その旨お申し出
下さい。
源氏物語の登場人物の一人。
源氏物語の雅な世界の中で、武骨者とかまじめ堅物、などといわれている人。要望も立派なひげあるため髭黒大将などと呼ばれている。正妻も3人の子もある身でしたが、玉蔓に恋をし、帝も含めて玉蔓に求愛するあまたの恋人候補を差し置いて、半ば強引に玉蔓を妻にしてしまう。
でも、この髭黒大将という人、玉蔓との結婚が原因で正妻とは離婚になる(髭黒自身は、玉蔓を妻としても正妻との離婚までは考えていないのだが、正妻の実父が正妻を実家に連れて帰ってしまう)のだが、この正妻は長年物の怪に取りつかれる病(精神的な病、時々物の怪が取りつき人格が変わった言動をすると描写されている)に侵されていたのであり、夫としてずっとこれに耐え、離婚をすることもなく正妻として遇していたのである。
この髭黒大将という人、源氏物語の中では風流に疎く、容姿も光源氏や頭中将、夕霧、冷泉帝などのように美しいわけではないので物語の中での評価は低めである。
しかし、なかなかどうして魅力的な人物に見える。正妻が病を抱えている状態であっても、玉蔓に惚れるまでは、女性を作るわけでもない。源氏物語の世界の中では貴族の男が数人の妻を持つのは当たり前なのに、である。妻子を守り、位は大将、まじめ堅物で仕事での評価は高い。
しかも、髭黒はその後妹が生んだ子が帝となるため帝の後見役となる。いわゆる外戚政治ができる立場となり、大出世するのである。玉蔓との間に男の子も生まれる。
源氏物語の中では、つまらない、といわれる堅物、実直、武骨者の髭黒大将が、家族を大切にし仕事を熱心にして出世する、現代的な魅力に満ちたものに感じられるのである。
弁護士 小野智映子
特別清算とは、通常の清算手続を行っている株式会社について清算の遂行に著しい支障をきたすべき事情又は、債務超過の疑いがある場合に、利害関係人の申し立てによって開始される会社法上認められた特別な清算手続である。
株式会社は法人格を有しているところ、株式会社を消滅させる手続きとしては、解散がなされ、その後の清算・破産手続きの終了により株式会社の法人格は消滅することになる。
そして、この清算とは、株式会社の法人格の消滅前に会社の現務を結了し、債権を取り立て、債権者に対して弁済し、株主に対して残余財産を分配する手続のことをいう。特別清算手続は、この清算の手続きのうち、債権者保護のために裁判所の監督下で行われる特別な形態である。
特別清算が利用される典型ケースとしては、子会社の債務を肩代わりした親会社の債権を税務上安全に償却するためのものが挙げられる。具体的には、この子会社について特別清算の申し立てがあったときは、債務を肩代わりした親会社は、債権金額の50%相当額について貸し倒れ引当金の計上が認められまる。そして、その後特別清算の手続が進んで特別清算に係る協定の認可または、個別和解があった場合に、これによって切り捨てられることになった額についてその事実が発生した事業年度において貸し倒れとして損金の額に算入できることになる。
そもそも親会社のみが子会社の債権者である場合や子会社の債務を親会社が肩代わりできる場合や、親子会社の関係になくても、2つ会社において役員等が共通しており、片方の会社が片方の会社の債権者となっていたり、第3者弁済が可能であるなどの密接な関係にある場合には、個別和解が可能であるので比較的容易に手続きをすすめることができる。
このように、税務上のメリットがあるうえに、不要になった株式会社を法的に整理することができる制度として、特別清算が利用できる場合がある。
岡山の場合だと、和解型はともかく、協定型はきわめて珍しいもののようである。
弁護士 小野智映子
弁護士になりたい、そう思ったのはいつからだったのだろうか。私の場合、弁護士になってみてからの方が、これこそが自分が求めてきた一生をかけるに足りる仕事だと実感できるようになった。なってみるまでは、弁護士がどういうものなのか、よくわかっていなかった。
それなのに、司法試験を受けたということは、どこかで、なりたいと思った時点があるはずで、それがさかのぼるとどこにあるのかなと考えてみた。
高校生のときには、弁護士になることは全く考えていなかった。東大には、高校1年生ぐらいのときから行きたいという気持ちはあったけれど、その先についてはまだ全く白紙だったように思う。
高校3年生のときに、進路指導の件で担任に職員室に呼び出された。この時、「文1をうけるには成績がたりない。文3にしないか」と言われた。確かに、私はすでにこの当時源氏物語の魅力にとりつかれており、文3にしても一向に構わない状況だったし、むしろ大学受験の段階でこのよう嗜好があるのなら文3を受けるべきであろう。それに、そもそも成績がたりないのだ。それなのに、私は無意味に文一に固執し、黙っていた。すると、そのとき担任に電話がかかってきて、担任が電話に出て話し始めた。私は、「いまだ」と思い、「失礼します」と言って逃げ出した。なんだか爽快だった。そのまま私は文1を受け、現役では不合格になり、1浪の末、東京大学文科1類に合格する。
東大に入学してからも、私は、ある意味執拗に司法試験の道を避け続ける。当時は、キャリア官僚を目指す国一よりも法曹を目指す司法試験の人気が上がり始めたころで、同級生の多くは遅くても2年生の秋くらいには、予備校通いを始めていた。私は、官僚にも司法試験にもあまり興味がもてず、茶道や着付け、お花を習い勝手気ままな暮らしをしていた。3年になって法学部第3類(政治コース)に進んだ。あくまでも法律の道には行きたくなかった。3年生の終わりごろ、就職活動を始めたが、これがまったくうまくいかなかった。時代も悪かったとは思うが、やはり、どんな仕事をしたいかという根本がないままの就職活動などうまくいくはずもない。当時は東京で就職し、東京で生活することしか頭になかった。就職活動がうまくいかなければ、当然、自分のことや自分の適性、将来について真面目に向き合うようになる。そのなかで出した答えが司法試験だった。人より遅い4年生の秋、私は初めてまともに法律の勉強をはじめるようになる。
今現実に弁護士になってみての充実感を味わうと、わけもわからず、執拗に司法試験の道を避け続けていたにもかかわらず、知らず知らずのうちに道はここへつながっていたのだと思わざるを得ない。高校3年生の担任から逃げ出した時の爽快感は、今の道へ行こうとすることの正しさを教えてくれていたのだと思う。自分のはっきりした意思ではなかなかむきあえなかった弁護士への道へいつのまにか導かれていたのである。
今を幸せに生きる、それが最近の私のもっとも心がけていることである。ともすれば先のことが心配になってあれこれ考えて今日を過ごすことになる。または、今足りないものをとりあげて、これがこうなったら、と思ってしまう。
でも今日、今はそんなことのためにあるのではないのではないかと思うようになった。
確かに、現状のたらないところを見つめ、分析しなければ、将来が改善されることはない。でも、それが行き過ぎてしまうと、今がつまらなくなってしまう。
そのとき、そのときを楽しめなかったら、楽しめるときなど一生来ない。先は先でその先の心配をすることになってしまうだろう。
だからこそ、今足るものを数えて、今を幸せに生きていけたらと思う。自然に笑みがこぼれるように。
ゆるやかにながれのままに、それでも、自分の足で歩き続けることはわすれない。そんな生き方をしたいと思う。