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牛肉のごぼうまき

私の大好物で得意料理といえば、牛肉のごぼうまき。

先日、どうしても食べたくなって作りました。

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新ゴボウを薄く切って下ゆでして下ごしらえをして、薄切りの牛肉で巻いてトマト、砂糖、ブイヨンその他の調味料で煮込みます。

少し甘めのするのが好みです。薄切りの肉はなんでもいいですが、煮るので少し脂肪が多めのものの方がおいしいです。

                              弁護士 小野智映子

落葉宮

  落葉宮。源氏物語の登場人物の中で私の好きな人物の一人。

朱雀帝の二の宮(二番目の娘)であり、のちに柏木の妻となる。そして、柏木の死後夕霧に熱愛され、妻になる女性です。

 柏木は、三の宮を自分の妻に賜りたいと考えていたのですが、いまだ官位が低いということで、母の身分が低い二の宮を妻として賜ることになります。しかし、柏木は三の宮に恋焦がれており、二の宮のことを「落ち葉のようなつまらない人をもらった」といったことから落葉宮などと呼ばれるようになるのです。柏木も女性に対してあんまりな物言いですよね。柏木は三の宮を忘れられず、不義の末若くして亡くなってしまうので柏木との結婚は落葉宮にとっては、不幸なものになります。

 しかし、この落葉宮は、柏木の死後夕霧の熱愛を受け妻となります。夕霧は光源氏の子で、当然出世する人です。しかも、光源氏と異なって、いたってまじめで誠実な男です。そんなまじめで誠実な男が大人になってはじめて恋をするのが、落葉宮なのです。結婚した当初は、夕霧の正妻が柏木のきょうだいなので柏木の父や夕霧の正妻からはよくは思われず、また内親王でありながら二夫にまみえるということで、苦悩するのですが、夕霧が正妻と落葉宮を妻として誠実に遇し、のちには落ち着いた生活を送ることになります。夕霧自慢の愛娘の養育係としても重要な役割をはたすようになります。

 私は、この人物がとても好きです。さまざまな苦労はあったものの、自分の居場所を見つけ、自分の役割を見つけしなやかに生きていく、次々とふりかかる苦しみ、悲しみを一つずつ咀嚼してゆっくりと生きていく、そんな姿にひかれるのです。

 落ち葉であってもいいじゃないですか、虫食いがあっても盛りが過ぎて若葉でなくてもそれを拾って、大切に心のしおりにしてくれる人がいるかもしれない。そんなことを思わせてくれる人です。

調停の意味~離婚の話④~

 弁護士の小野智映子です。

離婚において調停をする意味には何があるのでしょうか?

 繰り返して述べているように、離婚の場合、裁判所外の話し合いでうまくいかない場合(いわゆる協議離婚でカタがつかない場合)、すぐに裁判ができるわけではなく、調停を行うこととされています。

 調停は、裁判所においての「話し合い」ですから、以前にも書いたように、必ずしも法的理論的な解決となるわけではありません。したがって、自分の中で離婚のうちどれが一番大事で譲れない条件なのか、どの条件では譲歩できるのか見極める必要が出てきます。

 それなら、裁判所外での話し合いとかわらないのではないか?と思わる方もいるかもしれません。それに調停となると、裁判所に出頭するのはなんとなく気が引ける、平日でなければならない、期日が月1回程度しかない、といったデメリットと感じられることも多くあります。

 それでも、私が実際に多くの離婚事件にかかわってきた感触でいえば、調停で離婚を求めるメリットは十二分にあると思います。ましてや、弁護士を付けないで、ご自分で話し合いをされる方はなおさらです。

 それは、調停がいくら話し合いがベースとはいっても、裁判所が関与する以上やはり法的にみて公平であるかという大きな柱があるといえるからです。当事者はあまり意識しないかもしれませんが、はたからみていると、ご夫婦というのは事実上の力関係があり、どちらかがどちらかに気おされているということがよくあるうえ、当事者同士の話し合いであると、やはり、自分の主張を相手の意見も汲み取って譲りあうということがなかなかできず、結局なし崩しでどちらか一方に著しく有利な結論になることが多いといえます。そのようなときに調停であれば、一つの調停事件に必ず裁判官がついており、著しく法的公平を欠く結論を一方が望まない状態で押し付けられことを防ぐ方向で水先案内をしてくれます。弁護士をつけるということも公平な解決のための手段でありますが、調停という解決の方法をとることが公平な解決のための手段の一つになるのです。

 また、調停は月1回しか期日がない、というのが悪い点のようにも思えますが、逆に1か月のうち1回その時間はご夫婦が自身の離婚問題についてのみ検討する時間を持つということになります。そして、調停は、調停委員という第三者に話を聞いてもらい、一つ一つ次はこれについて検討しましょうという形ですすめているし、記録ものこりますので、1回、1回話し合ったことを固めつつ、次に進むことになります。したがって、「この前、ああいったのに今度は違うことをいう」といったことが少なくなります。逆にいつでも話合えると思える協議離婚の方が、日々の生活に追われ、考えることが後回しになりがちになり、自分はきちんと早くすすめたくても、相手が回答をくれないということが生じえます。片方が離婚に乗り気でない場合などにはなおさらです。私の経験上も同時期に始めた事件が、協議よりも調停の方が最終的決着が早かったというケースがありました。

 そして、なにより、調停の場合調停成立時に「調停調書」といってまとまった内容をきちんと文書化してくれますので、わざわざ別に協議離婚書を作成する必要がありません。しかも、調停調書は、養育費の支払いについて調書に記載されていれば、養育費の不払いがあったときに強制執行を行う債務名義ともなります。調書を作るのに別料金などもかかりません。

 私としては、ご夫婦それぞれの意思はもちろんやはり公平に解決するということがとても大切であると思うので調停は是非利用すべき制度であると思っています。

 

不法領得の意思

 「不法領得の意思とは、権利者を排除して他人の物を自己の所有物として利用処分する意思であり窃盗罪が成立するために必要な主観的要件である。」

と受験勉強ではちゃんと押さえていたし、知識としては入っている。

 生の事件で生の被疑者から

「盗んだことはまちがいありません」

「刑務所に行くために万引きをしたんです、、、、とるものはなんでもよかったんです。」

と言われると、ついつい、「アー認め事件か。」と思ってしまった。

 でも、これだと自分で利用処分する意思がないから不法領得の意思を欠くことになる。

いくら本人が「盗んだことは本当です!!」と言っても、続く弁解を素直に読むと経済的に利用処分する意思はない。そうなると窃盗罪は成立せず、無罪になる。

 でも、被疑者本人は、刑務所に行きたがっており罪を認めたがっている。

 変な状況になったという体験である。

 

 ※これは、万引きをした時にこのように言えば、罪を免れることができるという話ではないのでくれぐれもお間違いのないようにお願いします。万引きした物の種類や数、その人の生活状況などその他の事情で本人は捨てるつもりだとか使うつもりはないといってもそんなことないだろう、不法領得の意思あり、と認定できる場合もありますので。

 

 

おつとめ品再生その後

その後さらにバラが開きました!

 

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時間がたって花の色にも変化が。

来し方行く先~その5~言葉にできぬ思い

 光源氏が生涯をかけた最愛の人といえば、間違いなく藤壺だと思う。藤壺は、光源氏にとって父帝の妻であり、絶対に結ばれない運命だった。紫の上は、そんな藤壺に瓜二つであり、光源氏が藤壺が手に入らぬがために藤壺の身代わりとして自身のそばにおいたにすぎない。

 ただ1度、光源氏は藤壺と情交を交わし、藤壺は光源氏の子のちの冷泉帝を産むことになる。光源氏と藤壺は世間に許された関係ではないので、お互いに自分の感情を言葉にして述べることもできないのはもちろん身分柄、形式的なやりとりや顔を合わすことすらできない。それでも、一言も言葉をかわさずとも二人は互いに互いを思いあっている。

 紫の上は、藤壺に瓜二つで会ったことから光源氏に引き取られ、いつとはなしに妻となる。事実上正妻の地位につき、光源氏からもこのうえなく大切にされ、愛の言葉も溢れるほどにもらう。でも、光源氏が藤壺の幻を追うのはやまらないし、紫の上を見る視線の先には藤壺がいる。

 一見いつもそばにいて、優しい言葉も愛の言葉ももらう紫の上と、愛の言葉はおろか日常的な言葉すら交わすことすらできない藤壺と実に対照的だ。

 誰かのことを真に思い、思われそれが実をついたものだったときそれは得難い幸せだろう。藤壺は愛する人と一言も言葉を交わせなくても、顔をみることすらできなくても幸せであったと思う。ただ1度の情交がなかったとしてもそれは変わらないだろう。逆に誰よりもそばにいても、どんなに甘いことばささやいてくれても真実自分を見てくれない人といるむなしさはいかばかりか。

 人間の思いというものは果てしなく深く、目で見ることもできず、すべてを言葉で表現することはできない。相手が本当にどういう思いでいるか、完璧にわかるための方法はない。自分自身の思いすらはかりかねることもある。それでも、相手の思いと自分の思いが同じである奇跡があるとするならば、互いが互いを思いやり、同じ思いをこのうえなく大切にして生きていけたらと思う。そして、それは得も言われぬ幸せなのではないかと思う。

 10代のころには考えなかったことである。

                                     弁護士小野智映子

 

6月の無料相談日

 弁護士の小野智映子です。5月の無料相談日につきましては、予約枠がすべて埋まりましたので受付を終了いたしました。

6月の予定は以下のとおりです。

 

 ①6月10日(土)午前11時から11時30分

 ②6月10日(土)午後2時から2時30分

 ③6月24日(土)午前11時から11時30分

 ④6月24日(土)午後2時から2時30分

 

お電話またはメールにてご予約下さい。

ある弁護士の1日

  弁護士の小野智映子です。今日は、弁護士は日頃どのように1日を送っているか書いてみようと思います。まあ、私の場合は、修習でお世話になった先生の様子と自分のことしかわかりませんから、他の先生方がどのようにお仕事をされているかはよくわからないですが、、、

 私の場合は、自分で事務所をやっていますので、出勤時間は基本的に自由ですが、だいたい9時半には必ず事務所に出るようにします。一日のうち裁判の予定が入っていれば、それに合わせて外出します。私の場合岡山地裁本庁からは少し離れていますので、裁判に行くついでに接見や、裁判所への提出物、弁護士会への用事(23条照会の準備、レターボックスへの配布物の回収など)ができるように仕事をまとめておきます。何もなければ事務所にいますが、平日はとにかく電話がかかってきます。相談の申込や、裁判所からの期日調整その他の事務連絡や検察庁、担当している事件の相手方や私自身の依頼者の方々などなど。それらを、事務方さんが聞いてすむものはきいてもらいますが、私がでないといけないものはでることになります。なぜか不思議なもので電話はかかりだすと、続けてあるいは重なってかかってきます。そういう空気みたいものがあるのかしら、と思うくらいです。電話や外出(1日1回は何かしら用事で外出することになる)で時間が寸断されるため、記録を読んだり、訴状や準備書面を書くのは集中しにくいですが、期限が迫っていたりすると、この間にせっせと記録を読み、書きます。書いて書いて書きまくります。5時をすぎると、裁判所や企業などからの電話はなくなりますが、依頼者の方々にかけることが多くなります。依頼者の方々が出やすい時間が夕方であることが多いからです。電話も静まったあとにまた書く仕事です。

 一日のうちに、裁判とか相談とか絶対その日にかけなければならない電話とかの固定のスケジュールが入っている合間にその他いろいろをしているというかんじでしょうか。

 津山で裁判があるときなどは、半日つぶれてしまいます。

 月単位の長い目と一日単位短い目でスケジュールを調整して仕事をしています。

 

おつとめ品再生

 弁護士の小野智映子です。

日頃仕事の合間にベランダでせっせと花を育てています。

 近所のスーパーで日用品の買い物のついでに花の苗を買うことが多いです。赤やピンク、黄色の美しい花の咲いた苗や美しい緑の観葉植物につい目を奪われてしまいます。

 一方で、私はすでに花が散ってしまい、同じ種類の仲間の株が売れた後にポツンと残されたおつとめ品の苗が急に愛おしくなり、手に取り購入してしまうことがよくあります。

 ガーベラなどは何度も花を咲かせますし、バラも季節がくればまた花をつけます。おつとめ品を買って植え替え、丁寧に育てて再び花を咲かせることがひそかな楽しみになっています。

葉っぱだけになって売り場の隅っこにあったガーベラ。こんなに美しい赤でした。

買ったときは20センチくらいの高さだったのがみるみる伸びて今は50個くらいのつぼみがついています。

これらもおつとめ品。

 

一度花が散ってしまっても、値下げされてしまっても、仲間に先をこされてしまっても、捨てる神あれば拾う神あり、また花が咲くときがくる、その日を楽しみに今日も草木をめでています。

源氏物語

 弁護士の小野智映子です。

私の好きな本といえば「源氏物語」これにつきます。

皆様知る人ぞ知るというもので、原文はかなり難解なものです。

きっかけは、「あさきゆめみし」(大和和紀著)という漫画からです。これで一通りのストーリーを抑えてから、与謝野晶子訳、谷崎純一郎訳、瀬戸内寂聴の「女人源氏」など読み進めました。

よく「源氏物語が好き」などというと「女の情念、怨念が詰まった話がおもしろいの?」とか「光源氏が女性をとっかえ、ひっかえする話がおもしろいの?」などといわれますが、私の場合は和歌や書、舞、衣装などの平安の雅やかな世界観であるとか、主ストーリーと交わって展開される明石の出世物語や、玉蔓、髭黒大将や落葉宮などの脇役の人生模様や人間模様を追っていって人生の多様さ、運命の数奇さを感じることがとても好きなのです。何度読んでも、別の何かの発見があります。

 いつか原文を自分なりの解釈で読んでみたいなあ、、と思っています。すでに原文のみの文庫本は購入済みで準備万端なのですが、、いつのことになるやら。

 

源氏物語ゆかりの明石の住吉神社。

海側からみた住吉神社。松林での管弦の宴を想像してしまう。

私が受験をしていた当時、東大入試の古典では2年に1回源氏物語がでるといわれていました。

私が合格を決めた年も出ました。確か、幼い三宮が自分で自分に敬語を使うのを女房たちがほほえましく見守る場面だったかな。それとも、宇治十帖で八の宮が亡くなった場面だったか。。

 

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